自分と自由を求めた旅の日記
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プロフィール
HN:
tantas7
年齢:
47
HP:
性別:
男性
誕生日:
1978/11/07
職業:
国営公園スタッフ
趣味:
旅、カメラ、バイク、クライミング
自己紹介:
20台最後の年に
今まで背負ってきた 色んな役割を脱ぎ捨てて 自分と自由を求めてゼロから 歩きだすことにしました。 心のままに、自分にウソをつかず 目の前にあるものをまっすぐに 見つめながら生きていこうと 思っています。
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田口ランディさんの「キュア」
仙川環さんの「無言の旅人」を読んだ。 「キュア」はガン治療、未熟児医療のあり方について、 「無言の旅人」は尊厳死について取り上げた作品。 テーマが似てたせいか一気に読みきった。 前回の「死刑」同様、読み終えた後、 『う~~ん』とうなってしまった。 何千年もある人間の歴史の中で未だに 「生きる」ことの定義も「死ぬ」ことの定義も見つかっていない。 抗がん剤で髪の毛が抜け落ち全身を激痛に襲われながら それでも治るかどうかわからないまま治療を受けて生きること。 まったく意識が無く全身をチューブで繋がれ 人工呼吸器が無ければ自力で呼吸をすることすら できないまま生きること 何をもって「生きている」と定義するのかは難しい。 人それぞれに捉え方があっていいものなのか、 それともその社会の中で定義されるべきなのかすらもわからない。 生きる目的が他の動物のように「子孫を残すこと」なのであれば 子どもを産み育てた時点で役割を終える。 その後仮に脳死状態になったのであれば 安楽死をしてもいいということになる。 でも、当然そんな簡単な割り切り方ができるわけじゃない。 ということは人が「生きる意味」は別にあるということだ。 でも、それって一体?? 権力によって自らの意思を奪われ 誰かの言いなりでしか生きられない人。 それって「生きる」ことになるのかな? まったくコミュニケーションが取れなくなっても 生きている意味は? 頭で考えるとわからなくなる。 うつ病になる人がものすごい勢いで増えているらしい。 それだけ生きていくのがつらい世の中にになっているということだろう。 言い方を返ればそれだけ自分たちの欲求を無視した 不自然な生き方を迫られているということなんだと思う。 人はいつかは死ぬ。 だったらどう生きて、どう死ぬのかは 一人一人が考えることなのかも知れない。 PR 2008/02/29(Fri) 12:50:02
気が付けば2月も今日で終わり。
1ヶ月前はまだ部屋も片付いてなくて、 今ある家具も揃ってなかったことを考えると 時間は経ってるんやな~って感じ。 確かに仕事はしてないけど、何かはしてたみたいで、 結局一日中寝てた日なんて一回も無かった。 外に遊びに行くわけでもなく何かの活動に参加するわけでもなく 1ヶ月を過ごせてしまうあたり自分の本質が見えた気がする(笑) 逆に今まで毎日あんなにたくさんの人と絡んで、 一日のほとんどを仕事に費やしてたのが信じられない。 そのうちまた何かやりだすんだろうけど、 今はそのタイミングを待ってる感じ。 焦って動き出さなくてもそのときがくれば きっと必要なものを手に入れるんだと思ってる。 今こうして文章を書いてることや本を読んでることも きっと後で役に立つはず。 だから来月も焦らず自分のアンテナを信じて過ごしていこうと 思ってます。 2008/02/29(Fri) 12:33:19
ハローワーク主催の雇用保険説明会に行って来た。
100人以上の人が参加してた。 しかも参加してたのは僕の住んでる地域の人たちだけみたいだから、 札幌全体だとこの何倍もの失業者がいることになる。 これだけの人が失業してるのに求人倍率が0.44って 一体どうなってるんだろう? 周りを見ると圧倒的に自分より年上の人が多い。 40~50代の男性がメインだった。 それぞれが様々な経験を持っていて、様々な理由で退職したんだな、と 思うと不思議な感じがした。 ハローワークが終始アピールしていたのは 「私達は皆さんの早期就職を応援します」ってこと。 そういえば大学の就職課もそうだった。 とにかく1日でも早くどこかの企業に就職、 または公務員になることを望んでいた。 それが《みなさんのため》だと信じている様子だった。 まぁ、それが世の中の【ジョウシキ】だし、 一人でも多くの人が仕事をして税金を納めてくれないと困るからだろう。 (大学なら就職率を上げることになるんだろうけど) 「疑う余地が無い」ということはそれはそれで 幸せなことなのかも知れないな、とも思う。 自分で決めなくてもいいし、何かあっても世間が味方してくれる。 「仕方ない」で片付けることもできる。 大学の時は「就職はするもんだ」というプレッシャーに負けて 流されるように自分の道を決めてしまった。 でも、今度は自分が感じる違和感を無視してまで 生きていこうとは思わない。 自分の目と肌で感じたものを信じて決めていこうと思う。 2008/02/28(Thu) 18:19:13
「救いの無い物語」
見終わった後、自分の中でうまく消化できず、 出てきた感想はこんな言葉だった。 一発の銃弾を基点にとどまることなく物語りは進んでいく。 特別インパクトのあるシーンがあるわけではないのに、 胸を締め付けられる感じが抜けなくて何度も席を立った。 だけど画面から目を離すことはできず、 電気を消した部屋の中をウロウロしていた。 文化の違い。言語の壁。政治的抑圧。 様々な障害の為なかなか話が前に進まない。 意図しないところで誰かが傷つき、 シンプルで純粋な想いもうまく届かない。 そのもどかしさがとてもリアルで絶望的な気分になった。 "神"がそこに介在したのかどうかはわからないけど、 同じ文化で育ち、同じ言葉を話す目の前にいる相手とすら 僕たちはうまくコミュニケーションを取れないことがある。 ましてやまったく違う文化圏で育った人同士が分かり合うことなんて 奇跡でもありえない気になってしまう。 でも、たくさんの悲劇を繰り返しながらも 僕たちは平和を望み、愛を求める。 改めて考えてみてもやっぱり「救いの無い物語」なんだと思う。 でもそれが僕たちの生きる世界なんだとも思う。 それがとてもリアルである以上、 僕たちはその中から希望を見つけなきゃいけない。 僕は今、知らない誰かの作った作品を見て思いを文章に残してる。 そして、これを読んだ誰かが何かを思い、 それを記憶の片隅に残しながら残りの人生を過ごしていく。 だけど、言葉や想いは簡単には伝わらない。 だからこそ僕たちは色んな方法を使って繋がろうとする。 たとえそれが目に見えない場所にいても、存在すら知らない状態でも、 そこに存在しているだけできっと僕たちは繋がっている。 他者の存在を感じ、世界と繋がろうとすること。 僕たちが望む希望ってきっとそういうことなんだと思う。 2008/02/28(Thu) 17:40:39
大学3回生の時、就職活動をするか
就職活動をせずにNPO活動をしたり旅に出たりするか悩んでた。 どちらがやりたいかって言われたら後者の方だったけど、 結果的に自分を取り巻く波に飲まれて就職をした。 後になってみればその選択は正しかったと思うし後悔も無い。 だけど、その選択肢を選ぶ時点で大きな葛藤があり、 「このまま流されるかもしれない」という恐怖があったのは事実だ。 例えば高校を出たら大学に行く。 大学を出たら就職をする。 年頃になったら結婚して家を買い子どもを産む。 病気になれば病院に行き、仕事を辞めたらすぐに次の職を探す。 さらに女性になれば、結婚したら家事をして仕事の選択肢も限られる。 生きていく様々なシーンについて基本パターンが決められている。 例えば仕事一つとってみても他にたくさんある。 早く帰りたくても残業しないといけない空気があり、 上司の誘いを断れない空気があり、 辞めたくても辞められない空気がある。 《社会》というシステムの中で僕たちの思考や行動は とても制御されている。 もちろんすべてを否定するつもりは無いけど、 僕も含め多くの人が選択肢を奪われ自らの欲求を 無視して生きているのは事実だ。 だからと言ってセオリーを無視した時、 それ以外の選択肢を選ぶにはリスクが大きい。 つまり、必然的にある決められた選択肢を選ぶことを迫られる。 もし自分の意思を貫いて生きていこうとしても、 「言うこと聞かないなら勝手にして苦労すればいい」と 世間に冷たくあしらわれ見捨てられるだけだ。 でも、何百年も生きていられるなら話は別だけど、 僕だってがんばってもあと50年くらいしか生きられない。 誰かと同じことをするのがいやとかそういうことじゃなくて、 自分の意思で決められないのはいやだし 後で後悔するようなことはしたくない。 今こうしている瞬間も 今まで出会った人たちや会ったことも無い誰かに プレッシャーを受けている気になる。 でも、最終的に国も社会も僕の人生に責任を取ってはくれない。 僕が笑って過ごせるようにできるのは僕しかいない。 だからやっぱり多少苦労してでも自分で選びたいし 自分で決めたいと思う。 2008/02/27(Wed) 15:13:49
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