自分と自由を求めた旅の日記
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プロフィール
HN:
tantas7
年齢:
47
HP:
性別:
男性
誕生日:
1978/11/07
職業:
国営公園スタッフ
趣味:
旅、カメラ、バイク、クライミング
自己紹介:
20台最後の年に
今まで背負ってきた 色んな役割を脱ぎ捨てて 自分と自由を求めてゼロから 歩きだすことにしました。 心のままに、自分にウソをつかず 目の前にあるものをまっすぐに 見つめながら生きていこうと 思っています。
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今から50年近く前に書かれた遠藤周作さんの作品。
実はこういった古い作品を読むのはかなり珍しい。 高校生くらいまでは夏目漱石や芥川龍之介なんかも読んでたけど、 最近は新刊を探すことが多かった。 この本を読もうと思ったのは 田口ランディさんのブログで遠藤周作さんが紹介されてたから。 思い返すと自分の好きな人の紹介で興味を持つことは結構多い。 あとは自分の好きな人同士が実は知り合いだったとか。 こうやって縁ってできていくんだな、って思う。 今回もとても重いテーマだった。 戦中の病院の中で米軍捕虜が生体実験される。 街の中では米軍の爆撃によってたくさんの市民が死んでいく。 すぐ目の前では何人もの米軍を殺してきた軍人が笑っている。 人の死が日常化する中で人々の感覚が狂っていく。 その中で担当した医師たちは自分たちの行為が 医療の進歩の為として正当化されるものなのか ただの殺人なのか苦悩する。 殺人を犯した場合、法律に照らし合わせて罪を問われる。 たとえば万引きしたとか人をだましたことについて 法律で裁くことには違和感は無い。 でも、人を殺すことは何か違和感がある。 「捕まるから人を殺しちゃいけない」じゃない気がするから。 じゃあ「"理由も無く"人を殺しちゃいけない」だと通じるのか というとそれも違う気がするし、 だからと言って「"どんな理由があっても"殺しちゃいけない」 なのかと言われると「・・・」って感じ。 以前沖縄に行って本島の南側をバイクで回ったことがある。 その時感じたのは「人は理不尽な死を迎えるものなんだ」ということだった。 そう言えば以前からアウシュビッツとか カンボジアのクメールルージュにも興味がある。 それを知ってどうしたいのかはわからないけど、 今まで描いていた世界旅行って実はそういう 生と死をリアルに感じられる場所を求めてた気がする。 ヒロシマ、オキナワ、カンボジア、インド、ドイツ、アラスカ・・。 今まで漠然としていた旅のルートは少しずつ明確になっていく。 PR 2008/03/15(Sat) 18:33:21
母の友人が亡くなった。
僕も何度か会ったことがある人で とても明るくてやさしい印象の人だった。 意識してるのか無意識なのかわからないけど 最近「生きる意味」や「命のあり方」についての本ばかり読んでる。 どれだけ読んでも答えなんか出ないし、 そもそも答えなんか出るのかどうかも怪しい。 ただぼんやりと見えてきたのは「繋ぐ」ということ。 そして、僕たちは「生かされている」ということ。 僕たちは、 誰かの建てた家に住み、 誰かの作った食材を食べ、 誰かが送ってくる情報を得て、 誰かが提供してくれる電気・ガスで暮らしている。 そして、人間の力ではどうすることもできない大自然の恩恵を受け、 時にはすでにこの世にはいない人の力も借りながら生きている。 でも、人はいつか死ぬ。 それはどんな偉い人でも変わらない。 今僕がここで生きているということ。 29年間生きてきたということ。 そのことは確実に誰かに影響を与えている。 僕がたくさんの人から影響を受けて生きてきたように、 僕の存在が誰かに影響を与え、誰かの人生に影響する。 誰かの"記憶"の中に残り、その人の中で生き続けること。 "記憶"から抹消されても、その意思や考えが残り続けること。 うまく言えないけど、意思を継ぐとかそんな大袈裟な話じゃなくて、 僕が生きていくということは僕と誰か、 そして自分以外の第3者を繋いでいくということなんだと思う。 2008/03/15(Sat) 17:06:24
痴漢を装ってお金を巻き上げようとした事件があったらしい。
24歳の男が知り合いの女性と共謀して、 58歳のお父さんをはめた事件。 結局女性が自首して24歳の男は逮捕となった。 逮捕された時、お父さんは警察から激しい尋問を受けていて 「絶対有罪にしてやる」くらいのことを言われたらしい。 TVに出ていた弁護士も痴漢においては99%有罪になるとコメントしていた。 証拠なんて何もない。 無罪を主張する証言者もいた。 なのに、だ。 もちろん証拠がないから無罪でいいというわけじゃないけど、 こんなんじゃ明らかに冤罪となるケースが多くなる。 というかおそらく何件もの冤罪が発生してるんだろう。 警察が罪を作ってどうすんの? なんかやるせないな~と思った。 それから、福岡県で荒れた中学があるというニュースもあった。 いまどき珍しいリーゼントの兄ちゃんたちが授業妨害をしてるというもの。 TVのバカアナウンサーがそれっぽい子供を見つけて、 「君たちが問題の生徒ですか?」みたいに聞いてる。 子供たちも 「なんで見た目で判断するんだ」って切れてた。 「俺らに聞かないで自分で調べろ」って。 うん。もっともだ。 でも、それに対してバカアナウンサーは「そういうわけじゃない」って まったく説明になってない言い訳をしてて、 スタジオの自称「評論家」のおばさんも 「あんな屁理屈は無視すればいい」って言ってた。 政治家も事件を起こした社長もみんな取材を受ければ バカなマスコミに対して無視したり逆ギレしたりしてる。 子供たちはそれを見てるからマスコミなんかまともに相手にしない。 子供はただ大人の真似をしてるだけだ。 離婚したタレントに対して公の場で 「離婚した心境は?」って聞くのも見ていてイライラする。 《国民の関心》っていう肩書きがあれば何をしてもいいと思ってる。 たかが無名の一サラリーマンにそんな権利あるわけないのにね。 あ”~~~。 ほんとにくだらないことが多すぎる。 だいたいイージス艦はどうなったの? 米軍の問題は?餃子は?ガソリン税は?? 権力や権利を持ってる人の役割って何? マスコミって何をする為にいる人なの?? 2008/03/15(Sat) 12:15:55
「どうしたいの?」
「何がしたいの?」 僕の大嫌いな質問。 人が考えてることって実はとても曖昧で矛盾しててわかりにくい。 どんな言葉も自分の想いを適切に表現できないと思うことがある。 でも、大抵の人はそれを《言葉》に押し込めて聞き出そうとする。 例えば職業。 「何になりたいの?」「何(職業)をしてるの?」とは聞かれても、 「どんな仕事をしてるの?」とか 「どんなところがおもしろいの?」とは聞かれない。 知ってる言葉が聴ければそれだけで勝手にイメージを作って安心する。 それって《言葉による支配》を受けているんだと思う。 違う脳と感性を持った人間同士がコミュニケーションを取る為に 言葉が必要なのはわかる。 でも、言葉で自分の想いのすべてを表せるわけじゃない。 何でも言葉にすることを求めるのは 自分の頭にある世界だけで相手を理解しようとしているから。 わからないものを無理に言葉にしない。 「好きだから」 「やりたいから」 「よくわからないけどいいと思う」 そんな理由で始めるものがあってもいい。 2008/03/12(Wed) 13:02:57
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