自分と自由を求めた旅の日記
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プロフィール
HN:
tantas7
年齢:
46
HP:
性別:
男性
誕生日:
1978/11/07
職業:
国営公園スタッフ
趣味:
旅、カメラ、バイク、クライミング
自己紹介:
20台最後の年に
今まで背負ってきた 色んな役割を脱ぎ捨てて 自分と自由を求めてゼロから 歩きだすことにしました。 心のままに、自分にウソをつかず 目の前にあるものをまっすぐに 見つめながら生きていこうと 思っています。
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「ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ。」(バジリコ社) という本を買った。 またランディさんのブログで見つけたもの。 でも、もしブログで紹介されてなくても買ったと思う。 タイトルのセンスが絶妙だと思った。 この作品は108の詩集。 お気に入りのものを挙げてみる。 誰にも言えないものがあるとしたら、 それはむしろあなたの宝物として扱え。 自分の居場所とは、自分が帰れる場所である。 プレゼントが嬉しいのは、 会っていない時に自分を意識してくれたことが嬉しいのだ。 1年に1度くらいはちゃぶだいをひっくり返せ! 助けたくても助けてあげられない、 ということをお互いの中に確かめ合うことが、 本当の信頼関係である。 コミュニケーションに絶望した人だけが、 コミュニケーションを渇望する。 渡すべきは心であって言葉ではない。 言葉は心の包装紙。 包装紙だけもらって喜ぶ人はいない。 楽しい生き方とは、 楽しいことをして暮らすことではない。 楽しくないことはしない、という生き方である。 私たちは「起きたこと」を何も知らない。 誰かが「知らせたいこと」だけを知ることができる。 たった一人で語れる言葉を持て。 他にもたくさん心に響く言葉があった。 自分の想いを誰かに伝えることは本当に難しい。 みんなが使うありふれた言葉を使って、 相手の望む言葉を用意して、 自分の中にある漠然とした想いは無視して生きていく。 そんな風に生きていけたら こんなに悩まないんだろうな、と思う。 だけど、僕はやっぱり僕の言葉で伝えようと思うし、 矛盾してる想いも言葉にならない漠然とした想いも抱えながら 生きていくんだと思う。 きっと僕はコミュニケーションに絶望している。 僕の考えてることなんてたいていの人にはわからないんだと思ってる。 そのせいで誤解されても非難されても仕方ないとも思ってる。 だけどやっぱりわかってほしいと思うし、 僕はコミュニケーションを渇望しているんだと思う。 PR 2008/03/22(Sat) 18:19:24
今から50年近く前に書かれた遠藤周作さんの作品。
実はこういった古い作品を読むのはかなり珍しい。 高校生くらいまでは夏目漱石や芥川龍之介なんかも読んでたけど、 最近は新刊を探すことが多かった。 この本を読もうと思ったのは 田口ランディさんのブログで遠藤周作さんが紹介されてたから。 思い返すと自分の好きな人の紹介で興味を持つことは結構多い。 あとは自分の好きな人同士が実は知り合いだったとか。 こうやって縁ってできていくんだな、って思う。 今回もとても重いテーマだった。 戦中の病院の中で米軍捕虜が生体実験される。 街の中では米軍の爆撃によってたくさんの市民が死んでいく。 すぐ目の前では何人もの米軍を殺してきた軍人が笑っている。 人の死が日常化する中で人々の感覚が狂っていく。 その中で担当した医師たちは自分たちの行為が 医療の進歩の為として正当化されるものなのか ただの殺人なのか苦悩する。 殺人を犯した場合、法律に照らし合わせて罪を問われる。 たとえば万引きしたとか人をだましたことについて 法律で裁くことには違和感は無い。 でも、人を殺すことは何か違和感がある。 「捕まるから人を殺しちゃいけない」じゃない気がするから。 じゃあ「"理由も無く"人を殺しちゃいけない」だと通じるのか というとそれも違う気がするし、 だからと言って「"どんな理由があっても"殺しちゃいけない」 なのかと言われると「・・・」って感じ。 以前沖縄に行って本島の南側をバイクで回ったことがある。 その時感じたのは「人は理不尽な死を迎えるものなんだ」ということだった。 そう言えば以前からアウシュビッツとか カンボジアのクメールルージュにも興味がある。 それを知ってどうしたいのかはわからないけど、 今まで描いていた世界旅行って実はそういう 生と死をリアルに感じられる場所を求めてた気がする。 ヒロシマ、オキナワ、カンボジア、インド、ドイツ、アラスカ・・。 今まで漠然としていた旅のルートは少しずつ明確になっていく。 2008/03/15(Sat) 18:33:21
そこにある現実から目をさらさずに受け入れること 人の心の奥に確かに存在する「欲」や「コンプレックス」を否定しないこと 僕のテーマはそんな「Simple」なところに存在する』 僕のHPのトップに掲げたコトバ。 世の中で《違法》や《タブー》とされるもの。 でも、確実に存在するもの。 ずっとそういうものに興味があった。 そのすべてを肯定するつもりは無い。 でも、そこに存在すること自体を否定するつもりも無い。 人の中にある《欲》がどこまで深くてどこまで醜くてどこまで純粋なのか。 自分の中にある《欲》に気づいた時、人はどこまで解放されるものなのか。 きっとリョウが追い求めたものはそういったことなんだと思う。 損得とか利益とかそういう現実的なものじゃなくて、 そこにあるのはただ「知りたい」という純粋な欲求。 「それでも今この瞬間に、誰もが自分だけの欲望を求めている」 人にはそれぞれ求めるカタチがある。 たとえそれがありふれたものだったとしても。 自分の中に眠る欲を追い求めるのも無視し続けるのも自由だ。 もちろんそれが他人を傷つけるものであってはいけない。 でも、それが自分らしさを取り戻すためのものであれば 僕はそれがどんなものであっても肯定できる人でありたいと思う。 2008/03/09(Sun) 19:10:57
お目当ての本はまだ発売されてなかったけど、 変わりに「ロッカショ」という本を見つけた。 「ロッカショ=六ヶ所」 青森県に建設されている核燃料再処理工場について 取り扱った本だ。 坂本龍一さんの呼びかけてミュージシャンのSUGIZOが 編集に関わっている。 核・原子力=ダメなもの。危険なもの。 僕の認識。 恐らく世の中の多くの人にとっても同じものなんだと思う。 でも日本の各地に原子力発電所が建設されていて、 僕たちはその恩恵を受けている。 青森県の六ヶ所村に建設されているのは、 各地の原子力発電所で使われた燃料を再利用する為の処理施設。 でも、現在そこで生み出された「プルトニウム」という原料を 再度燃料として使うべく施設は日本には無い。 そして、「プルトニウム」は核爆弾の原料となる。 つまり、日本の中で原爆の材料にしかならないような資源を 生み出す施設が何兆もの税金を使って作られている。 この本のテーマ。 「知ること」 世界的に核や原子力が危険でなくすべきものであることは知っている。 核を持っているということが戦争の原因になったりもする。 でも、何がどう危険なのか? 今どうなっているのか?ということはほとんど知らない。 知らないと興味を持てない。 自分とは無関係のことになっていく。 どんな事故や事件も3日もすれば廃れていき、忘れられていく。 自分から知ろうとしなければどんどん過去のものになっていく。 何ができるか?何をすべきかはまだわからない。 でも、知らないと何も浮かばない。 まずは「知る」ことから始めよう。 2008/03/04(Tue) 18:43:30
『旅人の心得』 田口ランディ
『キュア』 田口ランディ 『九月の四分の一』 大崎善生 『パイロットフィッシュ』 大崎善生 『別れの後の静かな午後』 大崎善生 『スワンソング』 大崎善生 『無言の旅人』 仙川環 『死刑』 森達也 『愛し合おう、旅に出よう』 高橋歩 2月に読んだ本。 『九月の四分の一』『パイロットフィッシュ』『旅人の心得』は 以前に一度読んだことがある本で、 それ以外は2月中に買って読んだもの。 読みきっていないものも入れればあと5冊は増える。 ほとんど毎日のように本屋に行ってる。 僕は昔からハードカバーの本が好きだ。 かさばるのも値が張るのもわかっているけど、 ただタイトルだけを見て探すのより、 表紙のインパクトで探す方が楽しいから。 だから、『読みたい=買いたい』ってわけじゃない。 どれだけ作品が良くても表紙がしょぼい場合は買わない。 要は、その本を部屋に置いておきたいかが基準。 そういう意味ではやっぱり中身だけじゃなくて、 デザインやタイトルも含めて探してるんだと思う。 一番最近読んだのが『スワンソング』 去年から僕の中で大ブレーク中の大崎さんの作品。 セケンテイや社会的立場じゃなくて、 とことん自分の感情と向き合う。 出会いと別れをすべて自分の記憶の中に留めて、 心に傷を抱えながらも生きていく。 頭では「ダメだ」とわかっていても止められない感情があることを知る。 彼の作品はどれも客観的に見てかっこいいとかかっこ悪いとかじゃなくて、 自分の中から溢れる感情に翻弄されながらも、 自分に正直に生きていこうとする主人公を描いている。 読んでいて「それでいいんだ」と思える。 「それがいいんだ」と思える。 彼の作品に触れていくと 彼がおそらくそれまでに経験してきたであろう生き様が見えてくる。 いつか彼のような作品が書きたい、と思う。 その為には、今僕が経験している様々な葛藤もいつかきっと 役に立つ日が来るんだと信じている。 2008/03/04(Tue) 14:55:05
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