自分と自由を求めた旅の日記
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プロフィール
HN:
tantas7
年齢:
47
HP:
性別:
男性
誕生日:
1978/11/07
職業:
国営公園スタッフ
趣味:
旅、カメラ、バイク、クライミング
自己紹介:
20台最後の年に
今まで背負ってきた 色んな役割を脱ぎ捨てて 自分と自由を求めてゼロから 歩きだすことにしました。 心のままに、自分にウソをつかず 目の前にあるものをまっすぐに 見つめながら生きていこうと 思っています。
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30歳になった。
別に昨日までと身体的に何かが変わったわけじゃないけど、 気分的にはやっぱり違う。 うまく言えないけど、あえて言葉にすれば 今まで後ろにあったはずの扉が一つ音を立てて閉まった感じ。 その扉の向こうに何かあったのかって聞かれれば何も無い。 そこにあったのは「若さ」という言い訳でしかなく、 覚悟を先延ばしにする為の甘さだったんだと思う。 その扉が閉まったことで逆にしっかりと前を向けるような気がしている。 さすがに30年も生きていれば自分というものが見えてくる。 周りを見てどれだけうらやましがったところで今から追いつくのは困難で、 30年間積み重ねてきた自分というものを引き連れて 前に進むしかない。 でも、それは捉え方によっては誰にも侵略されない自分というものが できてきている証拠でもあり、 流される必要も無ければ、否定される謂れも無い自分がそこにいる。 どう思われようと簡単に変えることなんてできない。 自分は自分で生きていくしかないし、 こんな自分を良しとしてくれる人と付き合っていくしかない。 そんな開き直りにも似た自信が僕を支え始めている。 興味のあるものに出会った時「いまさら」と「いまなら」が交錯する。 でも、最後に行き着くのは悩んでいるヒマがあったら動けという結論。 今までと比べると先のことに悩んでいられる時間は少ない。 あれこれ考えている時間があれば何か少しでも 具体的なアクションを起こした方がいい。 未来に思いを馳せることより、今目の前のことを大事にしようと思う。 僕が僕であろうとする限り、すべての人に理解されることは無い。 万人受けしようとすればするほど、僕が僕である必要性が失われていくから。 だったら素な自分を出して、それでも魅力を感じてくれる人と付き合えばいい。 そんな割り切りができ始めているのも年を重ねたおかげかも知れない。 退くことができないなら前に進めばいい。 結果を気にせず楽しむこと、まずはやってみることを 意識して毎日を過ごしていきたい。 PR 2008/11/08(Sat) 00:13:41
雪の中での仕事に耐えるため冬用のブーツを買うことにした。
お気に入りの色が店頭に無かったので 一旦取り寄せになったんだけど、 急遽今日電話があってGETできることになった。 SORERLというメーカーのCARIBOU(カリブー)という冬用ブーツ。 足の甲の部分がゴムで足首からすねにかけては皮製。 中には交換可能なインナーが入っていて 足を入れた瞬間からぬくもりが足を伝わってくる。 お気に入りのダウンを着て、ニット帽をかぶってCARIBOUを履いて写真を撮る。 寒くてつらい冬だけど、そんな自分を想像するだけで 少しテンションが上がった。 本来なら9日になるはずだったものが今日手に入る。 しかも、大好きな星野道夫さんが追いかけ続けた極寒の地に生きる動物の名前。 この偶然には運命を感じる。 今まではそれほど縁が無かった山へ、雪へ。 30回目の誕生日に、新しいDOORを空けるきっかけを手に入れた。 ちょっと値段は張ったけど皮製だからうまく使えば 何十年も使えるはず。 自分自身への大きな大きなプレゼントになった。 2008/11/07(Fri) 23:38:48
36枚×5=180枚。
この6日間で使ったフィルムの数だ。 自分でもここまで撮ることになるとは思ってなかった。 デジカメの分も入れれば200枚を超える。 神戸に始り、時代祭り、鞍馬の火祭り、東寺、金閣寺、嵐山と続き 最後は三重県にある赤目四十八滝へ。 まったく予備知識なく行っただけにその感動も大きかった。 スタート付近はホテルやお土産屋が並ぶエリアで、 幅5Mくらいの川が流れていた。 ただその風景は決して珍しいものではなく 温泉街などへ行けば普通に見られる程度のものだった。 でも、奥に行くほど川幅は細くなり、石は岩になり 一面緑の苔で覆われた異世界に変わっていく。 それはまるで現代から過去へタイプスリップをしているみたいだった。 奥に行けば行くほどその世界において自分が 異物であるかのような感覚に襲われていった。 そこは人間の為にある世界ではなく、 自然の中を人間が覗かせてもらっているような世界だった。 思えば、街もビルも祭りもお寺もすべて人間によって 人間の為に作られたものだ。 もちろんその中には見ごたえのあるものもたくさんあるし、 尊敬に値するものもたくさんあった。 ただ、ファインダーを覗いて見た時 それらは僕にとって大して興味のあるものにはならなかった。 そこにある管理やエゴ、それを作った人の意思などが主張してきて スッと冷めていくのを感じていた。 それに引き替え自然のものに目を向けた時、 そこにあるのは僕たちに対してのメッセージではなく ただあるがままに生きる姿だった。 彼らは僕たちがそばで邪魔しようが感動しようがお構いなしで、 粛々と自分のリズムで時を過ごしていく。 何百年、何千年と行われているそのリズムは 僕たちのちっぽけな存在なんてきっと鼻にもかけてない。 だからと言って若輩者と見下しているわけでもない。 そこにあるのはただそこに息づくもの同士の存在。 今回の旅で気づいたことがある。 僕にとって写真とは自然と繋がる為の言い訳なんだと思う。 ほんとは地球に生きる者として堂々と自然と向き合いたい。 でも、人間が作った“街”という場所で育ってしまった僕には 正直そんな度胸なんてない。 だから「写真を撮る」ということを口実に少しだけ自然に触れさせてもらう。 そう。 まるで子どもが小枝を使って虫や動物に触れるように。 本物の自然の前では僕たちはとても無力だ。 そこでは言葉すら意味をなさない。 でもそれでいいんだと思う。 裸の自分でただそこにいればいい。 自然はそんな僕たちを否定も肯定もせず受け入れてくれるはずだから。 2008/10/27(Mon) 00:32:08
衝撃の告白だった。
おそらく一般の人にとっては。 でもそれを聞いた僕らは「あ、そーなんだ」くらいに受け止めてた。 別に適当に扱ってるわけでも、嘘だと思ってるわけでもなく ただ一つの事実として受け止めたらそんなリアクションになってしまった。 僕はあまり自分のことを人に話さない。 厳密に言えば上手に話せない。 悩みを相談したり報告したりするのも苦手だ。 きっと自分の感性や自分の身に起こったことを 必要以上に特殊だと感じてしまっているからなんだと思う。 いわゆる《世間体》を身につけたオトナたちに こぞって説教されたり否定されたりするのが怖いしめんどくさいと思ってる。 実際今までに何度もそういう場面があったし、 ちょっとしたトラウマになるようなセリフもたくさん言われてきた。 だから自分をうまく客観視できないままここまで来てるのかも知れない。 でもその分他人の事情にはいたって寛容だと思ってる。 たいていのことには驚かない自信がある。 ただその裏には自分の人生なんだから最後は自分で責任取ればいいんじゃない? っていう突き放したような本音があるんだけど。 そんな自分を基準に考えるのは良くないのかも知れないけど、 信用している相手のことだったら、 意外に色んなことを受け入れてもらえるものなのかも知れないなと思った。 各自の抱える事情は決して《普通》じゃない。 でも全員「それがどうした」くらいの受け止め方はしてたと思う。 きっとみんな気づいてるんだ。 「人生はいろいろだ」ってことを。 道端にあったお地蔵さんの胸にこんな言葉がかかっていた。 「いかに思われているかではなく、自分がいかに思っているかである」 ある詩人が書いた言葉なんだけどなんかいいなと思った。 誰かに説明したりわかってもらうのはとても難しい。 でも、それを理由に自分の想いを無視しちゃいけない。 「好きなものは好き」 うまく伝えられなくても、わかってもらえなくても 自分の想いには正直にありたい。 2008/10/26(Sun) 23:49:23
19時45分ごろ電話が鳴った。
「遅くなってごめん。今からいつもの場所に向かうわ」 彼との約束時間は19時30分ごろ。 4歳と2歳になる娘をお風呂に入れてから出てくるという話になってた。 準備をしてからいつもの場所、僕の家の近くのコンビニ、に向かうと すでに彼の車が止まっていた。 飄々とした感じは相変わらずで、いい意味で二人の娘を持つ父親としての 貫禄のようなものは感じられない。 20歳になるまで毎年大みそかは僕の家に集まってた。 日付が変わるまで家にいて、 年明けと同時に近所の神社にお参りに行くのがお決まりだった。 お互い彼女ができたりしてそれが途切れてから約10年が経つ。 彼は高校を出て就職し、結婚をした。 すぐに一人目の子供ができて、去年マンションを買った。 僕やもう一人の友人、ハタが自分のことばっかり考えて過ごしている間、 彼は家族を持ち家を持っていった。 会ってみればなんのことは無い、昔の雰囲気そのままなんだけど 10年という時間の中で二人の間に埋めがたいものができたのを感じている。 それは男としてのプライドのようなもので 言いかえるなら自分の人生の楔(くさび)となるもの。 つまり「オレはそっちには行けないし行かない」という宣言。 これから先一生切れることのない縁であることは確信している。 そしてそれと同じくらい交差することも無いという確信も。 それは決して悲観することではなく、 むしろ自分の人生に覚悟を持ったことを讃えあうべきことなんだと思う。 彼に比べると僕が持っているものは全然少ない。 その代り今は自分の中に芯を持とうとしている。 それが僕が選んだ生き方。 彼は彼で家族というものを持つことで 自分の人生の軸を持った。 ぶれない軸を持つ彼は僕にとって鏡のような存在で、 彼と話をすることで自分を客観的に見ることができるような気がしている。 2008/10/26(Sun) 23:23:05
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