自分と自由を求めた旅の日記
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プロフィール
HN:
tantas7
年齢:
46
HP:
性別:
男性
誕生日:
1978/11/07
職業:
国営公園スタッフ
趣味:
旅、カメラ、バイク、クライミング
自己紹介:
20台最後の年に
今まで背負ってきた 色んな役割を脱ぎ捨てて 自分と自由を求めてゼロから 歩きだすことにしました。 心のままに、自分にウソをつかず 目の前にあるものをまっすぐに 見つめながら生きていこうと 思っています。
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「慣例」
繰り返し行われて習慣のようになった事柄。しきたり。 最近政治の世界や相撲の世界でよく聞く言葉。 要は 「明確に決まってるわけじゃないけど今までやってきたやり方」 であり 「その世界で生きていく為には当たり前に守らないといけないルール」 であり 「わざわざ教えなくても知ってるもの」 だ。 なんか日本的だなと思う。 上から目線と言うか無責任と言うか・・。 他の人がどう思うのかはわからないけど、 そんなものを理由に何か意見をされてもまったく納得感が無い。 「KY」という言葉が流行っていて、 知識のあるおじさんたちまでが汚染されている。 人に不快な思いをさせないことは大事だけど、 だからと言って自分の主張をすべて抑える必要は無いと思う。 自分のプライドを守る為にはその場の空気をぶち壊してでも 主張すべき場面があってもいい。 最近爆笑問題の番組をよく見る。 「俺はさぁ」で始まる太田の若干キレ気味のトークが心地いい。 日本人って「俺はこう思う」って胸を張って言ってる人は少ない。 多くの人が 「こういう場面はこう言っとくべき」とか 「この件についてはこう言わないといけない」 ってことばかりを気にしてる。 テレビのコメントを聞いていても 「一般論はわかった。で、あんたはどう思ってるの?」 って思うことが多い。 結局「自分の意見・主張」が無いから「セケンの意見」と 比べることしかできないんだと思う。 でも、セケンって一体誰って感じ。 たぶん日本で生きていくことってそういうところの 折り合いを付けていかないといけないんだろうなって思う。 でも結局それって「自分じゃなくてもいいんじゃない?」ってなる。 他の誰かと同じことを話してればいいだけなら僕である必要は無い。 僕が僕である為に、 僕が感じたこと、僕が思ったことを正直に主張していきたい。 PR 2008/03/05(Wed) 12:13:15
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